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2021年に発表されたウブロ ラ・フェラーリ、50日間のパワーリザーブを誇る。

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この時計がデザインとより密接に関わっているとすれば、素材の選択、デザイン要素のプロポーション、デザイン要素間の視覚的な相互作用が、最初の驚きに続いて、その驚きを実現するためのディテールを楽しく探求するという理想を実現しているのだろうか?

 ある程度成功している時計の例はたくさん存在する。しかし、ときには、あなたが時計製造において正しいと思うこと、よいと思うこと、美徳と思うことと正反対の時計に出会い、即座に拒絶してしまうこともある。その時計を見て、怒りで視界が泳ぎ、嫌悪感で胃がむかむかするのだ。要するに、(警告:非常に主観的で批判的な暴言が含まれます)「クソ食らえ。この時計と、これに関わっているすべての人に悪い影響を与えてやる。慟哭と歯ぎしりするような外なる闇に投げ込まれろ」となってしまう時計ということだ。

 私にとってそのような時計は、ウブロのラ・フェラーリだ。この時計にもファンはいるだろうが、ローマ帝国の王座を汚し、堕落と冒涜の限りを尽くした最悪の皇帝と言われるコンモドゥスも、闘技場を満員にするのに苦労はしなかったはずだ。この時計を見ると、一瞬にして言葉にならないほどの怒りがこみ上げてくる。延長されたパワーリザーブは、そのデザインのあまりのバカバカしさによって、楽しむことができなくなってしまう。まるで、疲れ果てたチームが、可能な限り最低のクールな定義に当てはまるものを作るよう、文字通り銃口を突きつけられて作ったかのようなデザインだ。

私は、この作品が好きな人を批判するつもりはまったくない。好みの問題に議論の余地はない。しかし、「ゴツゴツしてる! アグレッシブだ! この時計がどれほど大きいか信じられないだろう!」というのは、私にとっては下らない、想像力を欠いた、ありきたりのデザインの最悪の状態(または最高の状態?)だ。最近では、下品なものを下品と呼ぶのは難しく、一般的な感覚を持ち合わせていないと思われがちだが、7つの天国と7つの地獄をもってしても、私はこの時計を下品なものだと思うのだ。

 もちろん、ターゲットとなるユーザーにとっては、思春期のホルモンに振り回された心にクールな印象を与えるあらゆるデザイン要素を、意図的に洗練された形で採り入れたこの時計は、賞賛すべきものである可能性は十分にある(そしてきっと、彼らもこのデザインの提案を洗練されたものだとは思っていないだろう)。私は、時計を批判的かつ公正に分析することに関しては、あまり負けを認めないが、かつて友人が言ったように、昔々、はるか彼方の銀河では、この時計に理由をつけることはできない。この時計は私を、広い心をもった幸せな愛好家から、苦々しく、ユーモアのない、心の狭い衒学者へと変えてしまうのだ。


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